reima9992006-02-11

今日は「建国記念の日」ですよ〜。

↓各国の建国記念日
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5

昭和41年4月6日の法86によって追加された国民の祝日ですが、当時これは
戦前の「紀元節」を復活させようとしているのではないかとの社会党の強烈
な反対により国会でこの祝日の日付を決めることができませんでした。

そのため国会では「日程は別途政令で定める」ということにされ、結局は
噂通り、戦前の紀元節の日取りである2月11日に定められました。

この2月11日という日付が出てきたのは、明治時代のちょっと変な計算が元
になっています。日本書紀には神武天皇が元旦に橿原に宮を建てたと書かれ
ていますので、本来は建国記念日はお正月に祝うべきものです。

ところが明治時代に何でも過去の記念日を西洋の暦に換算することが流行り
ました。神武天皇の時代の暦なんてどんなものだったか全く分からないので
すが、日本書紀の日付全般は、水戸家の「大日本史」編集員・藤田一正の
計算により、推古天皇以前の時代の日付について、元嘉暦がずっと過去にも
行われていたと仮定して作成されていることが確かめられています。

そこでその計算に基づいて、神武天皇元年の元旦が西洋の暦でいつに相当する
かというのを計算してみたら、BC660年の2月11日になった、というわけです。
この祝日は明治6年10月に制定されましたが、この当時かなりの混乱がありました。

明治の新暦改訂は明治6年からで、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日に
して、その後は西洋のグレゴリウス暦によりもとづく暦が行われているわけ
ですが、この唐突な暦の改訂に対しては物凄い反発がありました。(新暦
ことが公布されたのがもう11月9日。昔のことなので地区によってはこの告知
が来たのが、もう明治6年1月1日が過ぎたあとだったケースもある)

ところが明治6年1月29日に朔が来ますと、この日、宮中では神武天皇即位の
記念の祭典が行われ、それに合わせて民間でもこれを祝う行事が行われます。
これはつまり旧正月なわけで、民間では、これは西洋の圧力でやむを得ず
あちらの暦を導入したが、お上はちゃんと今までの正月を大事にしてくれて
いるのだ、という勝手な解釈が行われてしまいました。政府も実際にこの
日が来てみて国民の反応を見て初めて慌てます。そもそもこの明治6年
改暦自体が、多種あった改暦の意見を全て無視して、政府の一部の首脳の
決断により唐突に実施されたものでした。あまり深く色々と考えたものでは
なかったので、こういう穴が色々あった訳です。

しかしこのまま毎年旧正月神武天皇の即位のお祭りをやっていては、国民
の誰もが、これこそ「本当の正月」とみなして、誰も西洋式の正月を受け入れ
てくれなくなる、と危機感を持った政府は、急遽このお祭りを新暦に換算して
しまい、それに基づいて新暦の特定の日付に固定しようと考えた訳です。
そこで計算の根拠が極めて曖昧なまま、こういう無茶な計算を敢行しました。

要するに「紀元節」というのは、新暦改訂の歪みが生みだした祝日なのです。



某所より抜粋しましたm(__)m
これを見る限り、かなりうやむやのうちに決まったようで・・・(;´Д`)